【食べる=幸せ】この考え方で太り続けた話。

佐藤です。

このブログでも毎回と言ってもいいほど言い続けている消費カロリー>摂取カロリーの絶対原則は守れているかな?

この絶対原則を守り続けることができれば絶対に人間は痩せます。

で、問題はそれが守れないから苦労してるってことなんだよね。

消費カロリー>摂取カロリーとは言い換えれば食うなってこと。

なぜそれができないのか?

それは「食べる=幸せ」という行動パターンにあるわけです。

僕も今はだいぶ収まったけど昔はほんとにこの考えが頭の中を支配してたから(笑)

食べる=幸せという思考パターンがいかにダイエットの天敵なのか?

僕自身の体験談を元に話していくよ。

食べることが幸せだった子供時代

僕が子供のころ実家は貧乏でしたが「メシだけは腹いっぱい食え」という教育方針の元、ほんとうに腹いっぱい食ってました。

朝は時間がないので普通に茶碗一杯だけ食べ、昼は子供なので給食なので出てきた分だけを食べ、夜は下手したら一人で3合ぐらい食べてました(笑)

母親の料理は今思えばまずいのだけれど子供時代はそんなこともわからないので、とにかく白米を口いっぱいに詰め込んで食べることを毎日繰り返していました。

3合なのでこれぐらい食べてたと思います(笑)

 ↓

じゃあ子供時代からブクブクと太ったデブだったのか?と言えば、真逆でガリガリの極みでした。

学校で行われる身体測定でも痩せすぎ一歩手前ぐらいの体重で、見た目も完全にガリガリ(笑)

いくら子供時代でも太っていたら食事もある程度制限されたと思いますがいくら食っても太らないので全く制限もされず、僕自身も制限もせず。

僕は子供のとき毎日猿のように外を飛び回って遊んでいたので消費カロリーが尋常じゃなかったのだと思います(笑)

こういった経緯から僕の頭の中に「腹いっぱい食べる=幸せ」という意識が入り込みました。

それと同時に「腹いっぱい食べても太らない」という意識も入り込んだ。

だってほんとうに食べても太らなかったし、食べたら幸せというか「食ったー!」って気分になってたし。

猿のように遊ぶ時代はあっという間に終わった。

僕は一食で3合食べる代わりに猿のように飛び回って遊ぶことで「食っても太らない無敵の体」を手に入れていたわけだが、猿のように飛び回って外で鬼ごっこやサッカーができる時間は子供が思っている以上に短い。

小学校高学年ぐらいになると、鬼ごっこは「ガキ臭い遊び」という空気が流れ、草サッカーも「どうせやるなら本格的にちゃんとしたサッカーがやりたい」という空気感に押されみんな自然にやらなくなってしまった。

僕はやりたかったけど僕一人で鬼ごっこしてたらヤバい人だし、サッカーも一人ではできない。

つまり特にこれといったキッカケもなく運動する機会がなくなってしまった。

中学ではテニスをやっていた(サボり魔だったが)ので体型はキープできたが、問題は高校のとき。

20代のときほどおおっぴらに太っていたわけではないが、腹が出始める予兆はあった(笑)

しかしそれはあくまでも「ただの予兆」であって実際に腹がおっさんのように出ていたわけではないのでダイエットや食事を少し控えるなどの対策はしない。

すると少しずつ少しずつ、しかし確実に体は太っていく。

だらしない体になっていく。若者らしさは失われる。

それでも僕は気にしていなかった。そこまで目立ってないだろうと思っていた。

自分では裸を見る機会があるから太っていることはバレバレでも、他人に裸を見られることはないし着痩せするタイプだし大丈夫と謎の自信を持っていた(笑)

他人はデブを見ても「デブだねお前!」とは言わない。

僕もあなたも、おそらく99%以上の人がデブを見て「太ってるな~」ぐらいの感想は持つかもしれないが、実際にその人に面と向かって「お前デブだな!」と指摘することはないだろう(笑)

そして誰もデブだと指摘しないので僕はバレていないと思っていた(笑)

174cmの身長で94kgもあったのに。BMIは31にもなる。どう見てもデブ以外にない。

コロナワクチン摂取の優先順位が高い「基礎疾患持ち」と定義されるのもBMI30以上。つまり僕は基礎疾患持ちを名乗れるほどに太っていたのだ。

体調が悪そうな顔をしていれば誰かが「大丈夫?具合悪いの?」と声をかけてくれるかもしれない。

明らかに出血していれば声をかけてくれる人も多いだろう。

でもデブは誰もが気づかないフリをする。そしてそれは気づかないフリをしているだけで確実に気づいていて「デブだな」と思われているということだ。

こうして早期発見が遅れるので取り戻すのが死ぬほど大変なほど太ってから初めてダイエットを決意することになる。

そしてダイエットは決意してからが大変なのだ。

食べる=幸せという洗脳が解けない。

子供のころに埋め込まれた「食べる=幸せ」という洗脳はそう簡単に解けるものではない。

食べる=幸せの洗脳が解けないままダイエットを始めると必ず行き着く考えが

ダイエット=我慢

という考えになる。

だって自分の脳みその奥深くを支配している考えが「食べる=幸せ」なのに、それではダメだと理性で無理やりブレーキをかける。

もちろん理性も個人差はあれどそれなりのパワーはある。3日程度は持続できるだろうが、その後が続かない。

これがいわゆる三日坊主であり、理性での我慢の限界なのだ。

そもそも食欲とは三大欲求の一つであり本能なのに、それを三大欲求でもなんでもない「痩せなければいけない」なんてチンケな理性で押さえつけようというのが無理なわけで。

しかもダイエットは成功すれば称賛されるが、失敗しても誰も気づかないし叱責もしない。別に誰が痩せようが太ろうがそのままだろうが世間は興味などない。

こうして失敗のリスクもないから余計に自分では成功しない。

さらにタチが悪いのはダイエットには継続が絶対条件であり、1日では絶対に成し得ないことだ。

どれぐらい太っているかにもよるが、僕のようにBMI30超えなんて大デブは年単位で継続することが求められる。

そして一度痩せることに成功しても今度はそれを維持しなければいけない。痩せてもまた太っては意味がないからだ。

こんな過酷な道を行くというのに、脳みその奥底にある考えが「食べる=幸せ」であり、ダイエットとはそんな脳みその奥底の考えであり三大欲求の一つを全否定することが求められる。

これがダイエットが成功しない理由の1つだったことに気づいたのは痩せてからだったけど。

痩せているor普通体型の人はデブほど食に執着していない。

自分が痩せてみて起きた変化と言えば食への執着が少なくなったことがある。

以前は少しでも脳みそが「腹減ったぞ!」というサインを出せば「はいよ!」と言わんばかりに食っていた。

それが痩せてからはそこまで反射的に食べることがなくなったし食べたいという欲求自体が少なくなった。

痩せている人や普通体型の人に日々どんな努力をして体型を維持しているのか?と聞いても「別に何もしてません」と答えるだろう。

それは彼らの意識の中では本当であり謙遜しているわけでもないだろう。彼らはナチュラルに「食べないこと」が身についているし、そもそもデブよりも圧倒的に食に執着していない。

「腹減った=食べる」はないし、信じられないだろうが「食べる=幸せ」というわけでもない。

だからといって「食べる=不幸」とか「食べる=ストレス」までいくとデブよりも不幸な人生だろうが、痩せている人は「別に食べなくてもいいや」ぐらいにしか思っていない。

人生の重要度の中で食が占める割合が少ないのだ。だから彼らは「彼らの中での普通に」食事していても太らない。が、その食事量や食事内容はデブには物足りないものであることが多い。

この思考に完全になることは難しくても、ある程度近づくことができなければ一生「食べる=幸せ」の考えから逃れることはできないし、それはつまり「ダイエット=我慢」の法則が成り立つことになるので、ダイエットや体型維持は一生ストレスになる。

だから僕がいくらダイエットの絶対原則として消費カロリー>摂取カロリーと言っても痩せられない。

結局ダイエットはメンタルとそれを継続するモチベーションの問題なのだ。