佐藤です。
僕は体重を30kg落とすことに成功したあとひっそりとジムに通いはじめました。
太っているときから腕も細くて筋トレ的なものはどの種目もろくにできず、苦手意識がありました。
「ムキムキマッチョの人に馬鹿にされたらどうしよう…」
「マシンの重量の中で一番軽いやつすらできなかったらどうしよう…」
「そもそも生まれてこの方筋肉なんて縁がない人生だったのに本当に筋肉なんてつくのだろうか?」
などなど、行ってもいないくせにあれこれ考えてましたがしっかり成果を出すことができました。
腕立て伏せも一回もできなかったほどに筋肉に縁のない人生だった
僕はずっと筋肉に縁のない人生を送ってきた。
部活(ソフトテニス)をやってるときも筋肉なんてまるでつかなかったし、懸垂なんて夢のまた夢で腕立て伏せや腹筋すらも全然できなかった。
周りを見ても大して体型は変わらないしトレーニングをしているようにも見えないような友達はみんなある程度(30回ぐらい)はできてるのに、僕だけ全くできない(笑)
”腹筋は一度もできないし、腕立て伏せは一度下がったら上がれない(笑)”
そもそも筋トレというのは理不尽なものなので、筋肉をつけるためのトレーニングが一回もできなければ先に進めない。
例えば腕立て伏せが5回しかできない人が、日に日に回数を増やしていき、5回、6回、7回となるのは誰もが想像がつくだろう。
だ
が
そもそも1回もできないやつはどうしろというのか?
その答えは少なくとも中学生のときの部活の顧問は持ち合わせていなかった。
そのため当時の僕としてはにっちもさっちも行かず八方塞がりになり、「筋トレなんて無駄!」という考えにたどり着いたわけである。
ダイエットで成功体験を掴むとジムに行きたくなる気持ちがわかった
そんなこんなで筋トレとは無縁の人生を歩んできたわけだが、ある時人生の転機が訪れる。
30kgのダイエットに成功したことだ。
30kgという数字はとても大きいのでどれだけのことかなんとなくは想像してもらえるとは思う。
つまりとてつもないことなのだ。
そのとてつもないことをやり遂げたら人間は「もっと良くなりたい」と思うようになる。
30kgも痩せることができたんだから筋トレを頑張ったらもっとカッコいい体になるのではないか?と自然と思うようになる。
”筋トレを頑張る=ジムに行くという発想に行き着くのも自然な流れ”ということだ。
どんどん重いものが持てるようになり、体型は変わらない。
今ちょうどジムで鍛えだしてから約2ヶ月が経過した。
筋トレの成果といえば”パっと見て筋肉がモリモリになってたら成功”と捉える人が多いだろうが、筋トレはそんなに短期間で成果を与えてくれるようなものではない。
残念ながら毎日鏡の前で筋肉がついたかどうかをチェックしても全く変化は見られない(笑)
しかし確実な変化もある。
どんどん重いものが持てるようになる。
筋トレ界の情報収集をしているところによれば”筋肉がつくためにはとりあえず重いもの持っとけばいい”というわけではないらしい。
が、びっくりするほどグングンと重いものが持てるようになるのは自分の中ではわかりやすい変化だった。
例えば負荷を30にセットしてトレーニングをしたとする。最初は全く持ち上がらない。全く持ち上がらないというのは一回もできない、ピクリともしない。という意味だ。
仕方がないので負荷を20にセットして回数を重ねる。たった10の違いしかないのに20だと何回もスイスイできるのに30はピクリともしない。
それがあるとき突然30もなんとかかんとかできるようになる。とは言っても10回が限度だが、今までは一回もできなかったのにあるとき突然10回もできるようになるのはとても凄いことだと体感した。
そしてなんとかかんとか頑張っていた10回があるとき突然20回できるようになり、ついには30回できるようになる。
30回でしばらくトレーニングしていると、もっと負荷を強くしても大丈夫かな…という気持ちになり、どんどん重いものが持てるようになるという自分の中では非常にわかりやすい成果を得ることができる。
だ
が
見た目には変化はない(笑)
家族が見てもわからないし、自分で見てもわからない。
最初はピクリともしなかった重いものが今ではスイスイ持ち上げられて、なんなら物足りないぐらいに思うほどパワーアップしているはずだが見た目には変化はないのだ。
これを体感するとパッと見で筋肉がある人がどれだけパワーがあるのかがわかるようになる。
懸垂も1回ぐらいならできるようになったか?とチャレンジしてみると
僕のような筋トレ初心者でも、いちおう自分なりに”どの部位から鍛えて、どの順番でどのマシンを使うか”的な計画はある。
が、僕専用のジムではないので誰かが先に使っていれば順番待ちをしなければいけないときもある。
ちょうど使いたいマシンが使われていたので何かお手軽に鍛えられるマシンはないかと探していると、おじさんが懸垂をしていた。
おじさんはいい体をしている。体といっても半袖Tシャツから見える腕しか見えないが、いい腕をしている。
「あぁ、おじさんすげぇなぁ。あんな腕だもん懸垂も何回もできるよなぁ」と羨望の眼差しで見ていたときふと「んー、でも1回ぐらいならなんとかできるんじゃないか?」という思いが頭をよぎった。
「おじさんのように何回もやるのは無理でも1回ぐらいならいけるかもしれん。」
「まぁ別にできなくても失うものもないしな。」
そう思ってダメ元でチャレンジしてみると思いのほか普通に2回できた。
その直前に腕のトレーニングをしていたこともあり、どうせ無理だと思っていたのにあっさりできた。2回だけど。
でも1回すら「できるはずがない」と強く思い込むほど高い壁だと感じていた「懸垂」があっさりできた。
ダイエットも筋トレも成果はすぐに出る。でも他人には見えない。
次の日には懸垂も10回することができた。あれだけ高い壁のように感じていたにも関わらず10回もできた。
多分半年後には50回ぐらいできるだろう。そうなるように努力するのも楽しい。
でも懸垂が10回できても見た目に変化はない。
しかし懸垂は10回できている。
では”見た目に変化はないのなら懸垂が10回できるほどに筋力アップしても意味はないのだろうか?”
見た目の変化しか「成長」と捉えないのなら、意味はないだろう。
筋トレをやめる理由として「成果が出ない」というのが多いらしい。
彼らの「成果」とはなんなのだろうか?
見た目の変化?
重いものが持てること?
見た目が変化しなければ「成果」として認められないのなら、短期間で「成果」は出ないだろう。
彼らの求める「成果」は重いものが持てるようになった程度の、取るに足らない成果とも呼べないものの先にあるのだから。
そしてその先にはすぐには行けない。行く方法はない。だからまずはひたすらに重いものを持てるようになることを「成果」と呼べばいいだけだと思っている。
筋トレを「成果が出ない」と辞める人は「見た目が変化しないから」やめる。
僕は「ひたすらに重いものを持てるようになるのが嬉しい」し、そのうち体も変わってくるだろうと思っている。
どちらが正解でもなく認識の違いなのだろう。
だが彼らは「成果が出ない」と諦め、僕は見た目に変化はないのに「成果が出ている」と思い今も楽しく続けている。
どちらがいいのだろうか?